認定番号
002
区分
類別
所在地
京都市左京区北白川追分町 京都大学基礎物理学研究所湯川記念館
所有者・管理者
京都大学基礎物理学研究所
範囲と内容
湯川記念館史料室(YHAL)のウェブページに公開の「YHAL全史料リスト」のうち、s, c, d, eシリーズの文書史料。湯川秀樹が京都大学理学部物理学教室の研究室や基礎物理学研究所の所長室および自宅に残した約4万4千点の史料群
年代
1920年代~1980年代
文化財指定等
特になし
認定理由
湯川秀樹は、1949年に日本初のノーベル賞(物理学賞)を受賞した理論物理学者である。本件は、ノーベル賞の受賞業績となった中間子論の研究プロセスを示すものであると同時に、戦後日本の学術研究体制の発展の歴史、湯川秀樹の科学者としての社会的責任への姿勢、原子力や核問題に対する社会の動向などをも物語る大規模な資料群である。
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画像


Description
解説
本史料の中には、我が国で初めてのノーベル賞受賞の業績が如何にして成されたのか、その研究プロセスと当時の学界の状況を詳細に辿ることのできる、世界史的にも希有な第一次史料が含まれている。湯川は、中間子論形成に至る過程を含めて、計算過程・メモ、関係論文筆写ノート、学会講演原稿、論文の手書き原稿、タイプ原稿などの詳細な研究内容を整理し保存していた。原子核反応の実験結果を使った中間子の質量の予言は、朝永振一郎からの詳細な教示が決定的に重要だったが、その詳しい手紙も残されている。またミュー中間子の解釈について受理されなかった論文原稿などまである。さらに学生時代から晩年までの数々の研究ノート・講義ノート、日記など約150点も保存されている。
湯川は5年の米国滞在の後1953年に帰国し、我が国で初めての全国共同利用研究所である京都大学基礎物理学研究所の初代所長として1970年の定年までその任にあり、各大学の枠を越えて広く理論物理学の研究者達が自ら研究会を組織し互いの研究交流・共同研究を図る、という先駆的な研究の場を確立し、その後の多くの学問分野での全国共同利用研究所の先例を与えた。本史料の1950-60年代の史料の7千点近くが、基礎物理学研究所をめぐる国際会議、研究会、研究所運営、共同利用、関連の史料である。これらは、単に個人の偉業を示す史料であるだけでなく、広く戦後日本の学術研究体制の発展の歴史を示す貴重な史料群でもある。
湯川が1956年から原子力委員会の初代委員を務めたときの委員会の資料・議事録を初め、原子力の平和利用に関する新聞切り抜き等の関連資料も3千8百点程ある。またラッセル・アインシュタイン宣言に署名し、パグウォッシュ会議、科学者京都会議、世界平和アピール七人委員会、世界連邦運動など、核兵器廃絶・世界平和実現に向けて晩年に至るまで科学者として取り組んだ。これらに関連する史料も、各種委員会資料、声明、新聞報道、国際会議資料、往復書簡など、8千点近く含まれており、湯川個人が科学者の社会的責任とどう向き合ったかの記録であるにとどまらず、原子力や核問題に対する社会の動向の貴重な歴史的資料ともなっている。
本史料の収集・整理・分析は、1979年8月の湯川記念館史料室発足から始まった。まもなく旧湯川研究室から京大物理学教室の図書室に誤って運び込まれて長年の間書庫に眠っていた段ボール箱が10月26日に発見された。若い時代の湯川が、研究論文ごとに計算、講演原稿、論文の下書きなどを整理して保存したのに、紛失したものだった。そこに、中間子論を初めとする研究内容がぎっしり詰め込まれていた。これらは、その前年に物理学教室で発見されていた「研究室日記」(1938-1948)」とともに、湯川から史料室に寄贈された。さらに湯川の没後、史料室は遺族から基研と自宅に遺された物理関係の大量の資料の寄贈を受けた。また湯川家以外から寄贈された関連史料もあり、広く利用されている。
Location
所在地
Public Access
公開状況
史料全点の書誌データ及び一部史料の全ページスキャン画像を史料室Webページ (https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~yhal.oj/archive.html)で公開。所定の閲覧願いを提出し許可されれば現物を閲覧可。
